Fly me to the moon

(another version)

「そらに、いきたいの?」

 彼女は、ぽつりとつぶやいた。

 ネクタイを締めようとしていたおれは、ふいの質問にとまどい、そしてひとつうなずいてから答えた。

「もちろん」

「そう」

 そう言ったきり、マリィは薄暗いベッドの上で、背中を向けている。

「質問はそれだけかい?」

「質問なんてないわ」

 マリィはごろん、と上を向いて、煙のように言葉を吐き出した。裸のままの胸が、だらりと揺れる。

「言ってみたかっただけ。二十年前と、同じ科白を」

「誰かに尋ねたのか。答えはなんだった?」

「同じよ。あなたたちは、みんなおんなじ」

 その瞳は闇の中に居るように、どこか遠くを見つめている。

「耐G訓練も、ステーション建設も、革命軍も、ヤンガーズも、革命そのものさえも始まっていなかった二十年前から、なんにも進歩していない」

 そらに行くために、ひとは変わろうとしている。世界革命政府がその全力をステーション建設に向けはじめてからでも、すでに十年以上が過ぎていた。その建設現場に行くためだけにでも、明日からのおれのように、生命懸けの耐G訓練をつまなければならない場所に、人類すべてを住まわせる。そんなばかげた目標にさえ、多くのひとが協力しようとするほどに。

 おれの沈黙をどう受け止めたのか、マリィは笑い声をあげた。

「嫉妬でもしているの?」

 笑い声は、ちっとも可笑しそうではなかった。

「あたしは、マリィよ。ココナッツクラブのマリィ。

 みんながあたしのことを、なんて呼んでいるか知っているの? 

 『良く言えば娼婦。そうでなければ』……ってね」

 黙ったまま上着に袖を通しはじめたおれへ、マリィは指を二本突き出した。

「二枚でいいわ」

「ふざけるなよ」

「三十六の女じゃ、二枚は高すぎるか。一枚半にまけとくわ」

 内ポケットから取り出した財布は、前払いの訓練手当で膨れ上がっている。おれはマリィの方を見ないまま、財布をそのままベッドの上に叩きつけた。

「そんなもの、欲しけりゃ全部やる。貯金でもしておけ」

「貯金? 明日もないのに? 

 今日の繰り返しを生きていれば、それでいいのよ」

 マリィもおれの方を見ない。闇の向こうに、壁さえも通り抜けて、遠い星空を眺めているようだった。

 この街の夜に、星空なんてないのに。

「おとぎばなしをしてあげる――。

 二十年前、同じように言った男がいた。『そらにいきたい』って。

 地上で戦って、戦い続けて、そしてやっと宇宙へ行けるってときになって、そいつは死んじまった。

 あたしに明日をくれる、って約束、破ったままね」

「……それで?」

「それだけよ。おとぎばなしはおしまい」

 おれはマリィを見据えた。薄闇を通して、不思議なほどその姿がはっきり見える。

 出逢いが、別れが、歳月が、ひとの姿を変えてゆく。

 だがそれ以上に、ひとは変わってゆく。

 「おとぎばなしは、おとぎばなしだ。明日は、ある。必ず」

 大股にドアに向かって歩きながら、おれは確信を言葉にした。

「なければ、おれたちが創ってやる」

 

 マリィが、どんな顔をしていたかはわからない。

 その日以来、彼女の姿は見ていない。

 だが月ステーションでの建設作業中に、地球という星を眺めながら、ときどきおれは思っている。

 そのときの彼女の表情が、今ならばわかるような気がする。

相生のページへ戻る

トップへ戻る