夜に抱かれて

 この街の夜は、いつも俺に安らぎを与えてくれる。

 たとえ、戦いの最中でも。

 

 足刀。速い。だが、見切れる。

 外から大きく回り込んでくるそれを左腕で受け、そのまま上に流してやる。

 バランスを崩した相手は、そのまま二、三歩後ろによろけた。

 倒れなかったのは誉めてやる。が、あと一秒半はこいつを勘定に入れなくていい。

 残り、二人。

 右側のチンピラが突っ込んできた。いまの俺の動きに警戒したのだろう、身を屈めて、ストレートで素早く打ち込むことを狙っているらしい。

 だが、ド素人だ。

 まるっきり体重の乗っていないパンチを右掌で受け止めてやると、奴は驚きの表情を見せた。だから素人だってんだ。驚愕に全身が硬直して、卒中を起こした犬みたいにぐらついている。

 最初の男を跳ねのけるために、俺の左脇はがら空きになっていた。そこをめがけて、左にいた男がいまごろ突進してくる。相撲取りのような体格をしているが、反応が極端に鈍いのだ。プロには程遠い。おおかた、ステロイド剤でも使って筋肉を膨れ上がらせたのだろう。

 せめて同時に攻めてくりゃ、なんとかなったかもしれないものを。

 相手が、俺でさえなければ。

 卒中犬の拳を掴んで、そのまま左に流してやる。

 それで、充分だった。

 空元気だけの勢いは、そのまま相撲もどきに矛先を変えさせられ、ようやく速度をつけてきた突進に正面からぶつかる。

 二人の鼻っ柱からどれほどの火花が散ったのかは、連中が気絶から醒めたあとに聞いてみないとわからない。もちろん、そんな悠長なことをする気は毛頭ないが。

 ようやく体勢を立て直した足刀男が、改めて拳法の構えを取った。さっきみたいな不意打ちで倒せる俺じゃないってことを、いまさら理解したのだろう。虚ろな眼に、凶暴さが光っている。こいつも、なにかクスリをやっているな。

 勢いや体格だけだったさっきの二人と違って、いちおう格闘技の心得があるらしい。間合いを取りながら、隙をうかがっているようだ。

 甘いんだよ。

 一歩、二歩、三歩。間合いを無視し、大股でぐいぐい近付いてゆく俺を、彼は恐怖の眼で見つめていた。対人格闘の常識からかけはなれた行動に、どう対応していいのか、パニックに陥っているのだろう。

 クスリ漬けとはいえ、もう少し、歯ごたえがあるかと思ったんだがな。

 馬鹿々々しいので、本格的な格闘に持ち込むのはやめた。そいつを無視して斜に進み、ようやく伸ばしてきた手首をすれちがいざまに掴む。片手のひねりだけで、肘を逆関節に決める。

 そのまま、歩く速度で関節に力を加え、腱の千切れる音を確認しながら解放してやった。骨までは折らずにおいてやろう。

 両手を使ったとはいえ、三人相手に五秒弱ってとこか。

 簡単すぎてつまらない。

 遠巻きに集まっていた視線をかきわけ、三人分の悲鳴を背に、俺はまたこの街の夜に溶けていった。

 

 この街は、いつも夜だ。

 昼間があるのかもしれないが、誰もそんなことには気付かない。

 用意されたあらゆる快楽と、それでも満たされぬ欲望と、そのエスカレーションを次々に受け入れる活力と、それを支える、金、金、金。

 金があれば、つまり力があれば、ここではなんでも手に入る。そして力を持っていない者にさえ、それなりに優しく包み込んでくれる場所がある。なんでもある、ってのは、そういうことだ。

 淋しさなんて感じる暇はない。そんな筈もない。

 ここにいる、あらゆる国籍、あらゆる階層、あらゆる表情の人間たちは、夜の闇の中で、等しくお互いを求め続けているのだから。

 通りすがりのちょっとしたいさかい、わずか五秒のストリートファイトにさえ、俺は胸が熱くなるほどの安らぎを覚える。

 この街の夜は、いつでも淋しさを埋めてくれるのだ。それでも不足な者のために、あらゆる空騒ぎまで用意しながら。

 名物のポン引きも、最近は風俗産業とやらのエンドレステープに変わってしまった。風情のないことおびただしい。

 それでも、あちこちでちょくちょく袖引き小僧に出会う。またか、と思いながら振り向いたが、そいつはちょっと毛色が違っていた。

 「女のポン引きってのは、珍しいな」

 「女とは限らないでしょ」

 艶然と微笑む顔は、たしかに性別不明だった。年齢も不明だが、少年か少女かのどちらかだろう。たとえローティーンだろうとバイセクシャルだろうと、それだけならこの街では珍しくもない。

 ただ、いくら装いを重ね、手術を繰り返したところで、元の性別は匂いで判るものだ。だがそいつに関しては、俺でさえ判別をつけかねた。

 「どっちだっていいさ。『商品』が出歩いているのは珍しい、ってだけだからな」

 気分を害したようすもなく、その『商品』は歩きはじめた俺にすがりついてきた。

 「買ってくれるの?」

 「いまはそんな気分じゃない」

 「あら残念。ま、それはそれとして、ちょっと話をさせてくんない?」

 「したきゃ、勝手に喋ってろ。こっちはこっちで勝手にやる」

 「ありがと。そのへんのお店にでも入る?」

 俺は黙ったまま、たまたま目についたカウンター式の飯屋に向かう。自動ドアが閉じる前に、彼女はなんとか飛び込んできた。

 「気に入ったわ。なんか知らないけど気に入った、あんたのこと」

 くすくす笑いながら隣のスツールに腰掛け、プラスティックモデルみたいに組み立てられた牛丼にスプーンを突っ込んでから、彼女は急に深刻な顔になって声をひそめた。

 「ねえ。あんた、知ってたの?」

 「なにをだ。この肉が薬殺動物のだってことか」

 「そんなんじゃなくって」

 睨みつける店の親父の眼を気にしながら、さらに低い声でささやく。

 「あいつらがヤンガーズだ、ってことよ。もちろん、下っ端だけど」

 後先を考えない、ドラッグも肉体改造も厭わない、無鉄砲な若者たち。最近この街でも台頭してきたのが、ヤンガーズと名乗る一群だ。頭がキレている分だけ、ヤクザどもより始末が悪い。

 俺は黙ったまま、豚の唐揚げを噛った。筋だらけの肉が、やけに喉に引っかかる。

 「あんなチンピラの集まりだけど、新興の組織ほど、面子潰すとうるさいわよ。あんたにバックがあるならいいんだけれど……このへんの組の人じゃないわよね?」

 「おい、親父。このパイクーハン、茴香がきつすぎやしないか」

 「アンタ、そんな文句言うなら食べなくていいよ。本場の味だよ、ウチのお客さん、この味喜んでくれてるよ」

 「その割には、味付けに日本酒を使っているだろう。それも安物の」

 怒りだした親父とうつむいて肩を震わせる彼女を無視して、ぼそぼそした飯を丼の底まで平らげ、二人前の代金をカウンターに放り出して俺は店を出た。

 げらげら笑いながらついてきた彼女は、俺の背中に飛びついてきて肩で呼吸をした。

 「あんたって、あんたって面白いわぁ」

 「そいつぁありがとうよ」

 まだ笑いを含ませながら、背中から腹に向けて声が通り抜けてゆく。

 「本気で、抱かれたくなっちゃったな」

 

 「いいかげん、そのしゃぶるのはやめろ」

 もごもごと、下の方でなにか応える声がする。

 薄暗い部屋。この街の夜を閉じ込めた箱。

 ようやく口を離して、彼女は言葉を継いだ。

 「だって、あんた凄いんだもん。あたしもいろいろ相手してきたけどさ、クスリ使ったってこんなに硬いままの男はいなかったよ」

 「まだ名乗ってなかったな。石部金吉だ、よろしく」

 ひとしきり笑いころげてから、彼女はまたしゃぶりついてくる。

 「やめろってのに」

 「もったいないよぉ。ねぇ、今度はこっちの穴も可愛がってくれない? それとも、あたしのこれで責める?」

 「おまえが立派な道具をたくさん持っているのはわかったよ。わかったから、もう寝かせてくれ」

 全身が、あらゆる欲望を満たすために存在している。彼女もまた、この街の夜だ。

 「まだイッてないくせに」

 「石部君は不感症なんだってさ」

 「ねえ」不意にシリアスな声になって、彼女は尋ねてきた。

 「本当の名前は? それより、どこの組織の人なの?」

 「当ててみな」

 「当てたら、教えてくれる?」

 「さあ」

 隣に寝そべり、彼女は一つひとつ指を折って数えはじめた。

 「……地回りじゃないわよね、あたしが顔を知らないんだから。ヤンガーズでもないわけだし、外国マフィアでもないだろうし。よその街から来たならば、あんな騒ぎで人目を引くようなことはしないだろうけど、あんたみたいな凄い人がずっとこの街にいたんなら、あたしが知らないわけないわ」

 「たいした自信だな」

 「堅気ってはずはないわよね」

 「あたりまえだ」

 「じゃあ……あとは、テロリストグループか……」

 「……」

 「ねえ、まさか……」

 「あとひとつ、可能性は残っているぜ」

 「なに?」

 「ただの化物」

 彼女は、溜め息をついてあおむけに寝なおす。

 「正体は不明、ってわけね。しょうがないわ」

 下に手を伸ばして、今度は彼女自身に対してなにかを始めた。その気配を感じながら、俺は相変わらず横たわったままでいる。

 「あきらめたか」

 「追求するのはね」

 「その次はどうする?」

 「こうするしか、ないでしょ」

 彼女の手が、また俺の方に移動してきた。ただし、胸元に。

 冷やりとする感覚が、俺の胸を刺し貫いた。

 痛さを通り越した熱さを錯覚したのだと理解するまでに、多少の時間がかかる。

 「新興の組織ほど、面子を潰されたくないのよ。あんなに大勢の前で、あそこまで見事にやられたんじゃ、ボスのあたしがあんたの首を持ち帰るしかないじゃないの」

 急速に吹き出す血が、体温を奪ってゆく。淋しいような感覚に襲われて、俺はなにかを言おうとするが、もう声が出ない。

 「哀しいね。哀しいけど。刺しちゃったんだ。あたしが。熱いナイフで。ね、ナイフを隠す場所が、こんなにたくさんなければよかったのに。あたしじゃないあたしがあんたと出会ってたら、さよならしなくて済んだのにね」

 この街の夜は、いつまでも俺に悔やみの言葉を告げ続ける。

 

 そして視界が闇に包まれたころ、ようやく淋しさは消えていった。

 この街の夜に抱かれて、この街の夜の手で、この街の夜に還る。

 この街の夜は、いつも俺に安らぎを与えてくれる。

'93/08/23
相生浩史

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