コンピュータ

Webを作る

このWebページを作るために参考にしたのは、「正しい HTML 4.0+CSS1 リファレンス&作法」(ビレッジセンターHTML&SGML研究チーム編/ビレッジセンター出版局)という本でした。こういうカリカリの教条主義って、実はけっこう好きなんです。まあ、この本を読んでこのページを見た方なら、いろいろ笑えるところを発見することでしょう。
ただ、この本の基本的な姿勢である、「見る側の環境を限定せず、汎用的なHTMLを書く」というのは守っているつもりです。まあ、小説主体で限定する理由もなさそうなもんですが、もし日本語を縦書き表示できるユーザエージェントがあったらいきなり転ぶかもしれない……。
で、それに関連して常々思っていたんですが、"Sorry,This page is Japanese only"というあの決まり文句。ありゃいったいどういうつもりなんですかね。まずそもそも、英語として通じていないような気がするんですが。私の友人はあれを、「日本人しか入っちゃいかん」という意味だと思っていたそうです。英語の "Japanese" ("English" でも "Korean" でも同じですな)に、人間と言語と両方の意味があるのがそもそも混乱のもとなんですが、あるものはしょうがないとして混乱を招かない書き方ってできないもんでしょうか。えらそうに言うほど英語ができるわけじゃないんで、"〜 was written by 〜"という表現が正しいのかどうかは判りませんけどね。間違ってたらだれか教えてください。

1998/08/24

スタイルシートへの対応は、じつにめんどくさい。いちおう、最初から考えて作っておいたはずなのだが、結局すべてのファイルを書き直す羽目になってしまった。
HTMLはレイアウト言語ではなく、論理記述言語であり、ハイパーテキスト記述言語であり、わたしが昔から求めていたものであるという、あたりまえの事実を確認しただけになってしまったな。まあいいや、筋は通した。なんの筋だか知らんが。
んで実際、フォントの指定で「DF平成明朝体W3がなければMS明朝を使う」って指定はどうやればいいんだろうなあ。HTMLにそこまで求めちゃいかんわけなのだが、しかし……。

追記:この件は「保存版 HTML タグ一覧表」を読んで解決しました。

1998/09/02

変更履歴から引っ張ってきている話題である。
うがー。さっぱりわからん。特に<A>エレメント。"NAME"と"TITLE"の違いはなんとなく理解できたが(なにをいまさら……)、"ACCESSKEY"ってなんなんだよー。なんとなく見当はつくが、いま参考にしている「正しいHTML 4.0+CSS1リファレンス&作法」には具体的な説明がいっこもない。uniqueじゃなくちゃいけないのか。でもちょっとややこしい、リンクの多い構成だと(CoCoNuts-Clubの目次など)、26文字の範囲でuniqueな%Character;なんか割り当てるの不可能だぞ。
それというのもこの本で紹介されていたk16氏の「Another HTML-lint」でチェックしてみたら心当たりのない警告をたくさん出されてびっくりしたからなのだが、いったいどうなっておるのだ。さらにk16氏のページや彼が勧めるすみけんたろう氏の「すみけんリソース!」内「『via internet』談義」などを読むと、この本のことはけっこうぼろくそに書いてある。(他の本よりはるかにまとも、らしいが)。おれ日経MIXにいた昔からk16さんのこともビレッジセンターの出版物も信頼してたんだよう。いったいなにを信じればいいんだ。宗教(念のため、これは比喩表現からきたジャーゴン)の話も絡んでくるしなあ、こういうの。
ところでこのさいだから言うが(こういうさいに言い出すのもなんなのだが)、この本を買ったときから、あれー、と思っていることがあるんだよな。著者名がグループなのはいいとして、個々のメンバーの名前やもちろん担当個所の説明がどこにもないんですけど。ハンドル名でもいいから、こういうのははっきりさせておいてもらわないと、信用のしようがない。(このページの責任者がnutsだ、とか)。
というわけで、完全な全面書き直しはしばらくおあずけ。なにを信じていいんだかさっぱりわからん。とりあえず動いているからいいや、とか言いたくなってきたぞ。
追記:げげ。いま履歴のページをいじっていて気づいたのだが、この本と連動したWZ EDITOR用のマクロアプリケーション"htmlex"って、</TD>を無視するどころか再評価するたびに削除してしまうぞ。たしかに本のリファレンスには</TD>タグの記述なんかないんだが。<P>タグのプロパティでCLASSの指定ができないのも困るしなあ。しかしいまさら他のツールに乗り換えるのも大変だしなあ。WZ EDITOR自体は気に入りつつあるしなあ。ううむう。

1998/09/05

[R's]Rinn's page on the webをいまごろ見つけて熟読してみた。もう十年近くのつきあいになる友人なのだが。ここに「保存版 HTML タグ一覧表」というコラムがあって、これが非常に参考になる。このコラムは、もちろん論理構造にも触れてはいるのだが、なにより「見た目」に徹底的にこだわって記述されている。いままで上で書いてきたこととは相反するのだが、視点の定まった記事というのはたしかに読んでいて気持ちがいい。Win/MacでのIE/Mozillaそれぞれにおける具体的な見た目の説明があるだけで、目を通しておく価値はある。
ただ、それゆえか否か、論理構造への言及が不十分なところも見受けられるので、ここで補足してみよう。ちょっと揚げ足取りみたいな部分もあるが。

フォントサイズの指定について。非常に詳しく調べてあって参考になるのだが、px指定を推奨するのはどんなもんだろう。これはちょっとわたしの考えがおかしいのかもしれないが、あまり物理的なサイズに即した指定は見る側の環境を限定しすぎているように思う。Windowsユーザの全員が全員、17インチディスプレイにXGA画面ではないだろう。同じ物理的な指定ならpt指定にして、読みづらいのはHTMLビュワーの責任ということにした方がこっちの気は楽である(笑)。もちろん、単に見出しのサイズを整えるぐらいの目的なら、em指定か%指定を使うべきだ。IE3のいい加減きわまりないスタイルシート対応がemを解釈できないようなので、一時期このWebサイトではpt指定を一部に使っていたが、もうやめた。「物理的なサイズ指定は画像のサイズに合わせたりするための手段にすぎない」ということなら問題はないのだが。
<META>エレメントの記述についてだが、キャラクタセットのうち"x-sjis","x-euc-jp"など"x-"がついているものは規格制定前にHTMLブラウザが暫定対応したときのなごりであって、現在は"SHIFT_JIS","EUC-JP"と指定するようになっているはずだ。もっとも、実際の対応状況がどうなっているのか、わたしは調べていないのだが。どっちにしても"ISO-2022-JP"で記述するべきものだろうし。
<EM>と<STRONG>は、強調をネストするのが目的ではなく(それもできるべきなのかもしれないが)、論理的な強調を意味する。物理的な表示を変えるのではなく、あくまでも論理的な強調を意味するのである。HTMLビュワー側では、強調をBoldで表現するかもしれないしフォントサイズを変えるかもしれないし赤で表示するかもしれない。どれでもかまわないが、とにかく強調されるんだよということだ。これは重要だと思うので強く指摘しておく。たとえば、いま実際に<EM>と<STRONG>を使ってみせたが、その結果どう表示されているのか、わたしは考えていないのだ。意味の上で強調されていれば、それでいいのである。(追記:実際にはわたしの環境では、<EM>は斜体のうえに太字で表示されるので、なんか<STRONG>よりえらそうなんだよなあ:-) でも半分意地でこのままにしておく)。
<P>は単独で使うものではない。他のエレメントに属さないテキストはすべて<P>〜</P>で囲うべきである。だいたい、ブロックレベルとかインラインレベルとかややこしい話を抜きにしても、タグで囲まれていない生のテキストがぶらぶらしてるのって気持ち悪くないか? 
<A>に"TITLE"を指定すると、IE4の場合<IMG>における"ALT"のようなバルーンヘルプが出る。一般的にどのような意味があるかは疑問だが。おなじく"ACCESSKEY"を指定すると、たとえばACCESSKEY="A"ならALT+Aを押せばいきなりそのリンク先に飛ぶ。上に書いたようなunique性の問題もあるし、キーボードからのメニュー選択にダブるので、便利なようで不便(笑)。
スタイル定義の「基本」は、やはり別ファイルに記述して参照する(このページでは<HEAD>領域に<LINK REL="stylesheet" TYPE="text/css" HREF="essay.css">と記述している)という形だろう。こうすれば複数のページをグループ化してスタイルを統一することができるし、スタイルの変更も一括してできる。そのためのスタイルシートであるべきではないだろうか。

HTML(ことに4.0)において、スタイルシートを含めたビジュアルな指定というのは、テキストを読みやすくするための補助的な手段にすぎない。スタイルシートなしでも、このWebページはそれなりに読めるよう設計したつもりだ。ただ、これはわたしの宗教的な信念というだけのことで、本来はこうやって他人にいちゃもんをつけたりするような筋合いではないのかもしれない。今回の指摘がきっかけになって、RINN氏が「保存版 HTML タグ一覧表」の改訂に前向きになってくれたようなので、このコーナーが存在する意義はほとんど終わったようなものだ。

ついでと言ってはなんだが、上記「すみけんリソース!」で気になった部分も指摘しておく。「Webページという言い方はおかしい、書物のページとWebでは概念が違う」ということだが、技術の進展によって形状が変化したにもかかわらず、旧来の呼称を引き継いでいる例はいくらでも挙げられる。書物の本来の目的を考えた場合、検索やハイパーリファレンスが(技術的な制限によって)できないという状態の方がおかしいのであって、そのために目次だの索引だの脚注だのといったテクニックが開発されてきたのだ。逆に、本来あるべき書物とそのページの姿は、機械可読式のHTMLによるWebなのだとは考えられないだろうか。
この"http://www2.odn.ne.jp/nuts/"全体を「『スタジオよこぐるま』のWebサイト」と称することは妥当だと思うが、その中にあるたとえば"music.html"を「音楽のWebサイト」というのはおかしい。「音楽のページ」と呼ぶのが自然だとわたしは感じる。

もうひとつ関連して、「リソース」という名称についても。それはたしかに、WWW上で公開しているWebサイトがリソースであることには間違いないのだろうが、大ざっぱすぎないかなあ。毎日新聞も日本テレビもマスコミであることに間違いはないのだが、「毎日マスコミ」とか「日本マスコミ」とは名乗らないと思う。まあ固有名詞なんだから、極端な誤解を招くようなものではない限り、作者が好きなように名付けてかまわないんですけどね。

1998/09/18
一部改訂 -1998/09/20
一部改訂 -1998/09/22
一部改訂 -1998/10/12

スタイルシートの話なんですが、ここ数ヶ月、このページの表示がどうも重いなあ、と思われませんでしたか。 ローカルに置いてあるファイルの表示も異様に重いので、なにかミスをしたかなあ、とは思ったものの、しばらく原因に気づきませんでした(ごめんなさい)。 うちのローカル環境は化石みたいなCPUを使っているのでことさら気になったのかもしれません。
いろいろ試してみた結果、"font-weight: 100%;"とか指定していたのがまずかったようです。これはリアルタイムでアウトラインフォントの太さを変えるコマンドで、見た目を軽くするために指定してみたら気に入ったので、何の気なしに使っていたのですが、いやはや。元に戻したので最近は表示速度は軽くなっていると思うのですが、そうするとこんどはフォントの見た目が重くていやになる……。どうしたもんでしょうかね。

ついでといってはなんですが、スタイルシート採用に当たって肝腎なことを忘れていたのを、今ごろ修正しました。スタイル定義を別ファイルにしている(*.css)と、普通にやっているかぎりダウンロードとかができないんですね。ことに小説ページはスタイルシートにかなり依存しているので、本文のHTMLファイルをダウンロードして読もうとされていた方にはご迷惑をおかけしていたかもしれません。エッセイ及び小説のメニューページからCSSファイルを個別にダウンロードできるようにしましたので、よろしかったら今後はそれをご利用ください。

1999/08/30

ルビ

HTMLは、じつはちっとも日本語対応していない。縦書き表示ができないうちは、日本語対応とは呼ばない。まあワープロだって縦書きがあるていど使えるようになったのはつい最近だし、いまでもちょっとどうかと思うようなレベルでしかないので、言ってもしかたないのかもしれないが。
それ以外でも、日本語独自の傍点やルビに対応していないのが気にかかる。スタイルシートをガリガリに書けばなんとかなるのかもしれないが、あらかじめうまいマクロを用意しておくぐらいのことはできないのだろうか。安東の小説に大量のルビを要求するものがあって、これを公開しようというときにはかなり悩んだ。ルビをつけないと、たぶん意味すら読みとってもらえないような文章を含んでいるのだ。そんなもの書く方が悪いのだが。カッコで読み方を指定することもできるが、なにかもっとスマートな方法はないものか。
ところでHTML4.0には<ABBR>や<ACRONYM>というエレメントが用意されていて、これは省略語を音声読み上げするときにその読み方を指定するものだという。同じ目的のために<ABBR>と<ACRONYM>の二種類を用意しておくというのもよくわからないが、たぶん英語圏では省略語と頭文字語の区別というのはかなり厳密なんだろう。この概念は日本語にはない。"WWW"や"HTML"のように日本語として通用するようになったものを除けば、頭文字という概念そのものがないからだ。無理して真似すると「モボ・モガ」といったよくわからない代物になってしまう。いやまあ、このへんは余談なのだが。
なにを言いたいのか、賢明な方はすでにお気づきだろう。日本語のルビとHTML4.0の<ABBR>は、「読み方を指定する」という点で同じ意味を持っている。そして日本語の文章の中では、本来は<ABBR>の出番はない。あるとしたら「メアド」のように本人が勝手に略して誰にも通じないような言葉に「メールアドレス」という本来の意味の説明をつけるぐらいだろう。それにしたって、普通の印刷物ならルビで対応することができるのである。
というわけで、問題の安東の小説には<ABBR>を使ってルビをマークアップしてみた。少なくとも、結果として間違った使い方ではないだろう。重複しないということでは<ACRONYM>の方がよかったのかもしれないが、エレメントの意味としては<ABBR>の方がまだ近いだろう。もっとも、たいていのdisplay系ユーザエージェントは<ABBR>に対応していないので、やっぱり無意味なことなのかもしれないが。
日本語環境でのHTML利用に際して、<ABBR>をルビの表記として利用することを提案する。この方法が主流になって、HTMLビュワーが標準的に対応してくれるとうれしい。ほんとうなら<RUBY>というエレメントが用意されればいいのだが、それを期待することはできないだろう。

1998/09/30

HTMLに対して<RUBY>エレメントが提案されたことはあったようですね。それが通るとは思えませんが。unicodeに実装されるよりはましだと思うんだがなあ。

1998/11/27

と思ったら、通りそうなのね。まあなんでもいいや、とりあえずありがたいから。

1999/02/18

<RUBY>エレメントを、ためしにちょっと使ってみた。IE4ではなんとか表示できているが、HTMLビュワーによっては処理が追いつかないかもしれないなあ。あと、実際書いてみると死ぬほど面倒。互換性を考えるとあの書式しかないのだろうが、直で書いてたらとてもやってらんないぞ。

1999/03/08

IE5が<RUBY>エレメントに対応したらしい。例によってフライングだが、仕様はここで使っているものと同じであるようだ。ぜひこのまま、実質標準から正式勧告になってほしい。見ていただいて(たぶん)お判りのように、<RP>さえきちんと記述してあれば、正式化しなくてもさほど見苦しくなく使えるようになっているのだし。

Web上の情報が少ないだろうと思うので、<RUBY>エレメントの書式を説明しておく。(参考:月刊アスキー1998年12月号/1999年5月号)
<RUBY><RB>振り仮名</RB><RP>(</RP><RT>ふりがな</RT><RP>)</RP></RUBY>
これで「振り仮名ふりがな」と表示される。エレメント対応HTMLブラウザでは漢字の上に読みがなが、非対応ブラウザでは漢字の次にカッコでくくって読みがなが表示されることが期待される。
<RUBY>〜</RUBY>でルビ処理の範囲を指定し、<RB>〜</RB>("Ruby Base"?)でベースに表示される漢字、<RT>〜</RT>("Ruby Text"?)でルビとして表示される読みがな、<RP>〜</RP>("Ruby Parenthesis"?)にルビ表示時は無視されるカッコをそれぞれ指定する。<RP>〜</RP>を通常は2回指定しなければならないので複雑だが、これを省略すると非対応ブラウザで「振り仮名ふりがな」という表示になってしまうので省略するべきではない。

さてところで、わりとなんの考えもなく<RUBY>エレメントをすでに使ってしまっているわけだが、W3Cに提案されているとはいえまだ正式勧告でもなんでもなくHTML4.0 DTDに当然なんらの記述もないエレメントを使うということは、つまりIE5独自エレメントを受け入れてしまっているということだよなあ。そのくせ、ヘッダではHTML4.0のDTD宣言をしている。こういうことをしてはいけません、ほんとうは。とはいうものの、<FRAME>なんかなくったってどうってことはないが、ルビがないと記述できない日本語というのもあるわけでして、こちらの苦しい立場もご理解いただけると幸いです。あとは傍点だな。<RUBY>の応用でなんとかできないかなあ。

1999/05/07

コンピュータ

HTMLの話ばかりしているのもなんなので、コンピュータ全般の話題も。
とりあえず日記もしくは愚痴。さる事情によってWin95とIE4をぜんぶ上書きし直したら、画面の設定とかがみんなデフォルトに戻されていた。まあMSのやることだからそのぐらいじゃ驚きはしないが、とりあえず目につく部分を直してinternetに繋ごうとしたら、繋がらない。なんべんやり直しても、ログインの直後に撥ねられる。おかしいなあとダイヤルアップの設定のTCP/IPのところをしつこく確認したのだが、どうにもならない。しばらく苦しんだあと、はっと気づいてネットワークプロトコルを確認してみたら、TCP/IPがインストールされていないではないか。
インストールされてないプロトコルの設定をいじれるようにしとくんじゃねえ! それ以前に、IE入れた時点でTCP/IPぐらいデフォルトでインストールしておけよ。Netwareが黙っててもインストールされるのに(いまどき)、なんでTCP/IPが入っていないんだか。そもそも上書きしてるんだから、以前の設定をむやみに消すんじゃねえっての。あーむかっぱら立った。

あとハマったのが、Sportster Voice 56K Fax Modemの設定ね。というか、こいつには買ったときからハメられてばっかりだ。製品名を見てくださいよ。わたしゃ、Voiceで56Kのモデムが欲しかったの。x2だったのがちょっと誤算だったけど(というか、ODNがいつまでもV.90に対応しないのが誤算というべきか)それはそれとして、Voice 56Kのドライバがついてこないってのはいったいどういうことだ? ただの56KのドライバとVoice 33.6Kのドライバはついてくるのに。ちなみに、3comのサイトにもVoice 56Kのドライバなんて見あたりません。どうやってこのモデムの性能を活かして使えというのだ。
んで、こいつのVoice機能を使おうとしてSETUPを起動するとまたハマる。Navigator 2.02とか信じられないバージョンのブラウザが起動したかと思うと、なにやらオープニングアニメーションが始まって、いざメニューをセレクトできるようになるまでに30秒ぐらいかかる。なんの意味もないだろうが。どうやればメニューを選べるのか直感的に判らないし、マウスポインタを合わせてもホットスポットが来ているのかどうかすごくわかりづらい。見ればわかるけど、最低ですよ。もう使う気なくしてます。ほんとにもう。

ぜんぜん違う話。じつはこのWebサイトを開いてから毎日のように、あちこちの検索エンジンで「スタジオよこぐるま」を検索していたんです。だって、見てもらえているのかどうか不安じゃないっすか。感想のメールなんか(すでにメールのやりとりをしていた人を除けば)いままで2件だけしか来ていないし。8月の末から毎日のように調べていて、今日やっと、gooの検索で引っかかるようになったのを発見しました。でもどうやら、トップページのデータしかないらしい。少なくとも小説のタイトルでは引っかからないようだ。
こういうの、どうなってるんでしょうなあ。ロボット検索の原理を聞いたときは、「そんなむちゃくちゃなことって可能なのか」と呆れるやら感動するやらだったのですが、さすがにちと破綻しているんじゃないですかね。まあ便利に使わせてもらってはいるんであんまり文句言うのもなんなんですが、思ったほどあてにできるもんじゃない、ということは認識しておいた方が良さそうです。Infoseek Japanではとっくになくなったらしいページがいつまでも引っかかっていたし(うちの本を買ってくれた人の感想があったらしいが、読めなかった。気になるなあ。いまは感想1件しか引っかからないです。ちなみに友人のページ)、Yahoo!Japanは登録申請してだいぶ経つのに音沙汰ないし。長くても3週間以内じゃなかったのかなあ。もう1ヶ月近く経つぞ。1ヶ月といえば、フレッシュアイでも引っかからないのはなぜだ。なんかそれじゃ、意味なくないか。

1998/10/02

Webサイトに限らず旧来のネットワーク通信でもよく見かけるものに、「使用機種をえんえんと書き連ねてあるだけのプロフィール」がある。本体がなにでディスプレイがそれでプリンタはこれでモデムがどれとか、そういうの。かつては本体のところにPC-98の機種名を書いておけば済んだのだが最近は自作が主流だから、CPUからケースの型番まで並べ連ねてあったりする。
あれはいったいどういうつもりなのか、いまだによくわからん。(ハードウェア改造の話題が中心のサイトはもちろん別だ)。サーバならともかく、本人の端末が386sxだろうがXeonだろうが、見る側にはなんの関係もないだろう。マシン自慢したいのかと思えばそうでもない。いちおう、WindowsマシンかMacintoshかを明らかにしておくのは自己紹介になると思うが、それだって自己紹介としてはたかが知れた内容でしかない。いまどきは「ご飯より麺類が好きです」ていどの意味しかないだろう。「Amigaを自力で日本語対応させました」とか「MSXでWebサーフィンしています」とかそのぐらいでないと、個性とはいわないような気がする。
これ、かつて大手ネットワーク通信で「プロフィールには使用機種を明記しておきましょう」といった指導がされていたなごりではないかと思うのだが、どうだろうか。で、この指導の目的というのは、初心者の書き込みの大半が「HELP! マシンが動かなくなりました」といったたぐいのFAQであり、しかも機種や使用ソフトウェア、具体的な症状などがまるっきり書いてなくて誰も有効なアドバイスをできない、という例がたくさんあったことに対する、ホストまたは常連回答者側の防御策だったと記憶している。そういう説明を入会案内にいちいち書いておくわけにいかないから説明を省略していたら、いつのまにか「プロフィールには使用機種」という習慣が一人歩きしていったのではないか。
読んでもらうためにWebページを公開しているのなら、読んでくれる人間がどう受け取るか、少しは考えてから情報を垂れ流してもよさそうなものだ。垂れ流すこと自体が悪いとは言わないけどね。

1998/10/12

検索の話続き。さいきん、どれだったかの検索エンジンで「スタジオよこぐるま」があらたに引っかかるようになったのだが、これがどっかのリンクページなのである。ありがたいことなのかもしれないが、リンク依頼のメールなんかここんとこどこからも来てないぞ。たしかに義務づけているわけではないにしても、「リンクのときはメールください」って書いてあるんだがなあ。そのページを見てみると、配列といいコメントといい、うちから相互リンクしているTETLAさんの「アダルト小説リンク」とそっくりである。なに考えているんだかなあ。
ちなみに、Yahoo!JAPANにはまだ登録されていないようです。三ヶ月近く経っている。もうあきらめた。知らんわあんなとこ。

1998/11/30

上で偉そうなことを書いているので自分のマシンについて触れるつもりはなかったのですが、行きがかり上勘弁してください。FMV-425Dという機種にCylix 5x86/75MHzというCPUアクセラレータを搭載して使用しています。……判る人には判ると思いますが、大昔の代物です。Windows 3.1のころ実用的に使われていた機械を、古くて使いものにならなくなったという友人から安く奪い取ってきて、それに4.3GBのHDDとWindows95を入れて使っているんですから。ISAはともかく、VL-Busって知らない人の方が多いでしょう。
使えるならそれでいいや、という主義なのでこれでも満足しているのですが、このあいだいきなり動かなくなりまして。いろいろ試してみたのですが、電源を入れて10分ぐらい経つとどうしてもハングアップする。すぐに電源を再投入してもダメで、しばらく経ってからの再投入ならまた10分ぐらい稼働する。ここで、ははあ、と思った方もいるかもしれませんが、わたしとしては経験のない症状だったので、かなりパニックに陥りました。明らかにCPUまたはマザーボードの症状だということまでは判るのですが、その原因が見当もつかなくて、さすがに寿命なのか、と新しいマシンを組む算段などしていました。そうした方が幸福だったかもしれませんね。
CPUの異常が見た目で判るぐらいなら誰も苦労しないわけですが、いちおう念のためというか最後の手段としてケースを開いてみたら、あれですね、マシンの内部ってけっこうホコリが溜まるもんですね。そのホコリがCPUのファンにこびりついて、動いたり止まったりしている。いちおう掃除して動くようにしてから電源を入れてみたら……マシンは現在、快調に動いています。そう、冷却ファンが止まったことによる熱暴走だったのでした。
友人たちがマシンの改造に熱中してやれ300MHzだ500MHzだ、やれクロック上げすぎて熱暴走だ、と騒いでいるのを、動けばいいじゃん主義で冷ややかに眺めていたのですが、まさか自分の愛すべき旧機種にも同じトラップがしかけてあったとは。これの前に使っていたi486SX/25MHzはファンなんかなくてもちゃんと動いていたから、強制冷却が必要なレベルってもっと上にあると思いこんでいたんですけどねえ。
というわけでこの化石のようなマシン、まだしばらくは(サブマシンとしてかもしれませんが)使う予定です。文章屋にはオーバースペックなぐらいですから。最近のCPU速度競争って、どっか目的を見失っていないかなあ。

1999/08/30

ネットワーク通信

すでに通じにくい単語かもしれません。いわゆるパソコン通信のことなんですが、別に端末がパソコンに限るわけじゃないから、という理由でこう呼ぼうという運動があったんです。現在みたいに、ワークステーションからPDAや携帯電話まで同じひとつのネットワークにつながっている時代になってしまうとどうでもいいって気もしてきますが、いささかの思い入れをこめてこう呼ぶことにします。
あ。「パソコン通信」という単語自体にも説明が必要なのかな。ホストと呼ばれる、専用のコンピュータが常に待ちかまえているところにアクセスして、モデムどうしを使って接続するシステムで、その意味ではインターネットサービスプロバイダに似ていますが、原則としてユーザはアクセスしたホストの外には出ていけない、メールもチャットも掲示板も、同じホスト(この場合はサーバに相当)を使っているユーザどうしでのコミュニケーションしかできない、というところが違います。DDIポケットの最近型のPHSを使っている方なら、EメールサービスのないPメールDXみたいなもんという説明でわかる……かなあ。無理があるな。パソコンネットという呼び方もあったんですが、あくまで点と点でつながっているだけで「network」ではない、という理由で、「ネット」と呼ぶとバカにされる、という風潮もあったようです。
だけどね。コンピュータコミュニケーションの最大の目的は、それを使う人間どうしのコミュニケーションである、ってことを、ネットワーク通信は教えてくれました。大手企業がデータベースサービスを提供しているのが当たり前のようなインターネットと違って、基本的には自分からなにか発信しないと、そのホストにはなんの情報も蓄積されません。誰かが発信してくれた情報を受け取り、自分からもその反応を返す。そうやって、複数の人間が相互コミュニケーションしているかたちは、人間どうしのネットワークだったはずです。
こいつの全盛期は'90年代半ばまでで、まだバブル経済とそこから生まれた'80年代軽薄文化の名残があった時期なので、外部からの扱いは、一人で部屋に閉じこもってパソコン相手にカチャカチャやっている、暗い、おたく、孤独というイメージだったらしいです、ね。でも、ただコンピュータを相手にしているだけの趣味がそんなに面白いはずがない。その先につながっている相手がいるからこそ、その複数の相手、何百人、ときには何十万人との、無限のコミュニケーションを楽しめたんですよ。パソコンというものの本質が、巨大なそろばんでもタイプライターでもなく、電話機なのだという認識。明治時代の人々にとっては、黒い箱のような機械に向かって一人で喋っている姿というのは不気味だったかもしれませんが、いま電話を不気味だと思う人はいないでしょ。「相手と喋っているんだ」ってことがわかっているんだから。

1988年9月でしたか、ソウルオリンピック開会式のテレビ中継を見ながら、わたしは「CoCoNuts-Club」という(本来の意味での)同人誌、そう、このWebページのルーツになった個人誌の編集作業を行っていました。その前年の暮にはじめて買ったパソコンは、やっとハードディスクを取り付けたかどうか、とにかくいちおう文字が出るだけというレベルのプリンタを接続しただけで、コミュニケーションツールなどひとつも装備していませんでした。部屋に2台だけあった14インチブラウン管の、一方には全世界に中継されている同世代の若者たちの祭典、一方にはやがて6部だけコピーされて数少ない友人たちに配られるはずの、でもその時点ではここだけにしかない、誰も読んでいない、読まれる術さえない原稿が映っていました。――とつぜん、どうしようもない寂寥感がわたしを襲いました。自分が、自分の書いている文章が、すでに自分の存在理由になっていた文章表現という行為が、これほどの孤独にさらされているのだと、それまで気づいていなかったのです。完結したシステムの中でどこにもつながっていない14インチのディスプレイは、わたしの孤独を象徴しているようでした。
その翌年の2月、たしか14日。仕事上の都合で電子メールを利用できる環境が必要になり、わたしはあるネットワーク通信ホストにログインし、会員登録しました。「あ、こうすれば原稿のやりとりができるのか」という簡単な感想とともに始まったわたしのネットワークは、やがて生活の大きな中心を占めるようになりました。最初はこっそり、そしておずおずと、やがてはでかいツラをしてチャットルームに出入りし、それまで想像もしていなかったような「思考と思考が直接ぶつかり合う」体験を味わいました。
わたしは(他人からどう思われているかは知りませんが)口で喋っての意見交換が苦手で、適当に間を作れる方法でなくては、じつはすぐにパニックを起こしてしまいます。ノリがいいときはポンポンと他愛ないやりとりを交わし、必要ならば数分、あるいは数日でも考え込んでから返事をすればいいという、そのホストのチャットルームは、いま思っても全般に知的水準が高くて、たくさんのことを学ばせてもらいました。小説に対する理解があまりにも乏しかったのはともかくとして。
なにより、そのチャットを始めて数日以内に、わたしは百人近い知り合いと、その何%かではあってもたしかに友人と呼べる存在を手に入れていました。無作為の相互コミュニケーションツールであるというネットワーク通信の魅力は、あるいは魔力は、そのようなものでした。その後も含め、延べ数百人になるだろう人々と様々な形のコミュニケーションを続けてきたことで、わたし自身、ずいぶん変わったと思います。

このWeb版「CoCoNuts-Club」としてはめずらしく、思い出話などをしてしまいました。十進数やグレゴリオ暦にどれほどの意味があるかはともかくとしても、十年というのは、たしかに短くない、重たい時間の累積です。
今日、わたしがよくアクセスしていた、そして何人もの方と親しくなる場になってくれた、あるネットワーク通信ホストが閉鎖され、WebベースのBBSに移転します。それがまさに今日である、というのは、少なくともわたしにとって、意味があることなのかもしれません。

1999/02/14,ネットワーク歴十周年の日に

Macintosh

これはMacの悪口ではなく。

こないだちょっと前の「美味しんぼ」を読み返してたら典型的な「頭の悪いMac信者の言い分」が出てきてたのと、他にもそういう話を聞いたのと、あるBBSで「小さいフォントは読み間違えやすい」という話題があったので考えたこと。
Macのシステムフォントって、もともとデザインが悪いうえにデフォルトだと12ピクセルぐらい(かな。携帯電話の漢字表示ぐらい)で、およそ読みづらいったらない。少なくともわたしの主観では。それはそれでシステム上の割り切りだからいいのだけれど、その画面を指して「Windowsよりデザインがいい」と言える神経が判らない。
べつにMacそのものに文句つけてるわけじゃなく、そんなこと以上のメリットがあるんだから、と考えて使っている正しいMacユーザが多いんだろうけど、「デザインがいい」という思いこみだけでそういうところを考えない、あるいは「この方がむしろいい」とか詭弁を弄する輩がたしかにいて、そいつらがバカにされているのだ。
またそういうのに限って、他人にやたらMacを勧めたがるから嫌われる。あいつらがいなかったら、Macintoshってもっと普及していたかもしれない。
これは、「Macの悪口」あるいは「Macユーザ全般への批判」じゃないんですよ。言われたこと信じ込んで視野狭窄に陥っている「頭の悪いMac信者」が嫌いなだけです。「頭の悪いWin信者」も「頭の悪い小林よしのり信者」も嫌い(また紛糾しそうな喩えを……)。自覚的にMacを選択したユーザに文句つける気はさらさらないです。
自分で考えもせずになにかを信じ込んでそれを他人に押しつけようとするやつが嫌いなだけ。これはごくふつうだの感情だと思うし、そういうのを見かけたらむしろ指摘してやるべきだと思う。押しつけるのではなく。

共通点は、「自分で考えて選択した」ってこと。わたしも、自分で考えてWindowsマシンを選択しました。それに対して、とやかく言う必要はないでしょ。

1999/03/08