小説・書籍

「漁火」高橋治(朝日新聞連載)

現在、朝日新聞夕刊に連載中の小説。とりあえず新聞はすみずみまで読む習性があるのと、これの前に連載していた宮部みゆきの「理由」がとにかくおもしろかったので、つい読みはじめてしまったわけだが。
西原理恵子曰く、「才能の尽きたミュージシャンなどが急に地球に優しくなどと言い出す、エコロ逃げというものがある」。最近の文壇は、さしづめ「沖縄逃げ」が主流といったところだろうか。いかん、新聞小説の批評をしようと思ったら、新聞コラムみたいな文体になってしまった。
芥川賞なんかで沖縄をテーマにした作品が高く評価されているもんだから、こういう風潮になるんだろうかな。それにしても安易だ。「Tokyo的」に対比されるべきテーマは、沖縄まで行かなくても日本中にいくらでもあるんじゃないのか。
とにかくこれは、東京の芸能界で(主観的に)いわれなき迫害を受けたヒロインが、ひょんなことから沖縄の人や風物に出会って救われる、という話であるらしい。構造としては、エコロ逃げとなんら変わることがない。
なにより、キャラクター造型が月並みすぎて、読んでいる方は呆然としてしまう。主人公の女性はひたすら真面目でけなげで、自覚がない地母神である。男である俺が読んでげっとなるぐらいだから、女性が読んだらどう思うのか、ぜひ聞いてみたい。相手役になるらしい男は、ひたすら男である。あのなあ、いまどきこんな男のキャラクター出して許されるのは西村寿行と北方謙三ぐらいだってーの。関西弁の人気タレントは性根の貧しい卑怯者だし、大企業オーナーの婆さんはキップがよくてひたすら主人公の味方だし、ああもう、いちいち挙げていけばきりがない。
プロローグで倒叙形式にしたのは「理由」を意識したのかもしれないが、あからさまに失敗している。ミステリーとこういう話で、同じ手法がそう簡単に通用するわけないだろうが。

1998/03/17

などと書いていたら、四月から「作者病気のため休載」になってしまった。高橋氏個人に関してはご快癒を祈るばかりなのですが、この小説を再開するなら、せめてもうちょっとまともなものとして再構築していただきたいものだ。このまま辞めろとは言わない。批判されたらそれを超える形の作品を創ってみせるのが、作家の心意気ってもんじゃないですかね。

1998/08/07

「タイ怪人紀行」ゲッツ板谷(スターツ出版)

絶対値で言えば、ものすごく面白い本である。ゲッツ板谷(金角)の本をはじめて読む人は抱腹絶倒だろう。まあつまり、やっていることは前著の「ベトナム乱暴紀行」といっしょなのだが、しかしどうもこの、これだけいろいろ暴れているわりには面白くないんだよな。やはりサイバラと比較してしまうからだろうか。板谷、鴨ちゃん、はせぴょんのメンツでタイ旅行する話をサイバラが描いてくれればなあ、などと思ってしまう。きっと、これより数段は面白くなるに違いないのだ。

1998/08/27

「ああ、堂々の自衛隊」宮嶋茂樹(双葉文庫)

この人の文章は面白い。実は当時、週刊文春の連載で読んではいたのだが、まとめて読むとなおさら面白い。花田時代の文春はやはり端倪すべからざるものがあるなあ。いま見てみたら本の構成が勝谷誠彦で、そのせいでもないだろうがサイバラの紀行ものに近いテイストがある。体当たりのドキュメンタリーを書ける人ってのはうらやましいよな。思想面も、これだけ堂々と書かれると笑ってしまう。もちろん計算してやっているのだろうが。

1998/08/27

今日の面白い買いもの

これはどういうコンセプトのコーナーかというと、末尾の日付に買った本の報告です。ただし「本日のGETぉ!」というノリではなく、わたしの買う本の傾向というものがいかにめちゃくちゃかをご覧に入れて笑っていただこうという趣旨であります。基本的に、一軒の本屋で同時にレジに持っていったもののリストです。
こういうコーナー始めると、ウケを狙ってわざととんでもない買いものをしてしまいそうだなあ。気をつけなくては。

司書房にて。出版社ではなく、近所にできた小さな古本屋である。
上2冊はネタ本。3番目はじゃあその続きかというと、どっちかといえば伊駒一平の方に近い。「まゆみ!」は四コマ。虎の穴池袋店で揃っているのを見て買おうかどうしようか迷った記憶があるが、古本で正解だったみたいだ。
今回はサンプルを兼ねているのでこんなところで。もっと面白い買いものをしたら、また報告します。

1998/08/27

わはは。毎月のはじめにはいつもこういうことになる。というのを他人に話すとウケるので、このコーナーを始めたというのが真相なのだ。
TSUTAYA光が丘店にて。ふだんはあまりここでは買い物しない。必要な雑誌を揃えている店が近所にはここしかないので今回はしょうがなかったのだが、単行本は発売日に仕入れてほしいものだ。
雑誌はようするに毎号買っているものなので、説明のしようがない。わたしの興味ジャンルをそのまま示していると思っていただきたい。他に、「AERA」「月刊ニュータイプ」「月刊アスキー」「コミックフラミンゴ」「コミックzip」(これは友人が描いているため)を毎号買っている。これでも「ルーキーズ」や「ちゃお」や「ばんがいち」を買わなくなったのだが、まだ多いな。あ、そういえば今日ちょうど「通販生活秋の特大号」が届いたんだっけ。
内田春菊のエッセイは、このところ集中して読んでいるので。「アメリカ流〜」は、これで理解できなかったらもうおれは数学をあきらめる。「だぁ!だぁ!だぁ!」は少女マンガの単行本がなかったので半分ウケを狙いました、すみません。考えてみたら「なかよし」と重なっているので、ちっともウケ狙いになっていないな。

1998/09/04

最近印象に残った本

新書を中心に、最近読んで印象に残った本です。そのまんまだな。いい印象とは限りません。ある意味、自分の無知をさらけ出しているようなものだし。
ここんとこあまり小説を読まないので、このページの内容を増やす苦肉の策。
積み上げた順に紹介していくので、ジャンルがばらばらに出てきます。

「生命の正体は何か」川田薫(KAWADE夢新書)

河出書房新社も堕ちたもんよのう。カッパサイエンスの方がよほどまともなもの出しているぞ。最近、生物学の先端や生命誕生のあたりを勉強していなかったんで、どうなっているのかというつもりもあって買ったのだが、それ以前の問題だった。河出のブランドでブルーバックスみたいな体裁でトンデモ本出さんでくれ。

「文庫版・メタルカラーの時代1-5」山根一眞(小学館文庫)

メカとかテクノロジーが好きな人、近代科学技術に対して思想面から批判的な人、みんな読みましょう。わたしはもう、新刊が出るたびに本屋に飛んでいく状態。文庫版はしばらく続きが出ないので、ハードカバーの方に手を出そうか本気で悩んでいる。
ただ、山根の文体は、というより会話文のセンスだけは、どうも耐えられない。合いの手は飛ばして読んでいます(難しいけど)。

「アジア・キッチン旅行」高崎篤(徳間文庫)

とにかく、「作り方」が判るのがありがたい。かといってこの本で述べられているとおり、現地そのままの素材が手に入るのでなければ意味がないのだが。ローソイヅァップ(字を出すのがめんどくさい)の存在を知っただけでも収穫。近いうち、むら珍か富翁に行ってみなくては。

ちょっと舌足らずだったので追加。食いしんぼうの多くは自分でも作る。出来上がりの味を計算しながら、こういうものが食べたい、こう作ればこんな味になる、というのを楽しみにできるからだ。そういった経験を積めば、レシピを読むことによって出来上がりの味をだいたい想像することもできるようになるわけだ。もちろん、日本の唐辛子の味から本場のキムチを想像したって間違っているに決まっているのだが、いちおう韓国の唐辛子の味を知っていればかなり違うし、白菜と唐辛子とアミの塩辛やその他諸々の味を足し算することも、レシピがあれば可能なのだ。もちろんこれは想像に過ぎないので、この本にも書かれているとおり、現地に行って自分で作るというのは、味を理解する上で非常に重要なことなのだが。
あと追記。上記「むら珍」はアメ横、「富翁」は北新宿にある、アジア系輸入食品の専門店。この道にいてこの両店を知らなければモグリですよ。デパートとかでも調味料のたぐいは一通り揃ってはいるんだけど、値段が馬鹿みたいだもんなあ。たぶん同じグレードのナンプラーが、池袋西武百貨店で800円ぐらい、富翁では290円でした。デパートの輸入食品コーナーで、少なくともアジア系外国人の姿を見かけたことないぞ、おれ。むら珍で店員と言葉が通じなくて困ったことはあったけど。(1998/11/22追記)

「マンガはなぜ面白いのか」夏目房之介(NHKライブラリー)

タイトルへの解答が述べられているのどうか、実はよくわからない。理屈抜きでマンガの読み方を習得した、つまり団塊の世代以降の人間にとっては、あまりにも自明な解説が多すぎるのだ。ただ、それをきちんと言葉にしたところはやはりすごいのだろうな。この本におけるマンガの形態要素の分析は非常に面白く、また興味深いものがある。
夏目の前著であり竹熊健太郎や小形克弘らとの共著でもある「マンガの読み方」(別冊宝島)とは、ほとんど似たような内容である。衝撃度という意味ではもちろん、解説の突っ込み加減も、むこうの方が深かったのではないか。別冊宝島を読んだ人はこちらをわざわざ読む必要はない。ただし紹介するにあたっては、手に入れやすいのと最近読んだという理由でこちらを挙げておく。

「フェルマーの大定理が解けた!」足立恒雄(講談社ブルーバックス)

問題の意味は中学生にもわかる。それが正しいか証明しろ、という設問だから、解答の意味もわかる。それがついに解けた、という感動的な事実もわかった。証明に使われている道具も高校レベルで知っているものが多いし、それ以上複雑なものには丁寧な解説がついていて、その解説もわかりやすい。
だけど、最後まで読んでもどうも理解できないんだな。ねえ、ほんとにこの問題って解けたのですか。
いやこの本の説明が悪いというわけでは断じてなくて(上記のとおり、じつに丁寧に説明してある)、わたしの頭が悪い、という話をしているんですが。なんで微積分以降の数学になるとまるっきり理解できなくなるんだろうな。自分でも不思議だ。とりあえず、第一報を聞いて思った「なんで整数論の問題に楕円の証明が出てくるんだよ」という疑問までは解けたので、まあいいことにしよう。

「微積分に強くなる」柴田敏男(講談社ブルーバックス)

念のため断っておくけど、古い本ですよこれ。読んだのが最近というだけ。
上記のとおり、微積分がさっぱり解らない。なんで高校を卒業できたのか不思議だ。そういうもんなのかもしれないが。相対性理論の解説書を読んでいるうちはそれでもまだよかったのだが、上記「フェルマーの大定理が解けた!」を読みながら、さすがにやばいと思いはじめて、次にこの本を買ってきたわけだ。
で。やっぱりわからん。ぜぇんぜんわからん。開き直っているわけではないが、開き直るしか方法がない。なんというかたぶん、抽象的に物事を考えられるレベルというものには個人差があるのだろう。小学生当時、九九ができないとか分数ができないとかいう話を聞いて、その感覚がまったく理解できなかったのだが、つまりはそういうことなんだろうな。
ここで自慢するわけではないが(自慢なのだが)、高等数学は入り口の基礎の基礎でこのていたらくでも、算数は得意ですよわたしゃ。初等幾何は人並みだし植木算だの時計算だのというやつは実はいまでもあやふやなのだが(これも抽象化の問題だと思う)、3桁ぐらいの足し算なら苦もなくできてしまう。因数分解は4桁までならいける。掛け算は乗数が2桁なら被乗数が5桁や6桁でもなんとかなる。たとえばアルファケンタウリまでの距離を天文単位に換算できる。連立二元一次方程式や、最近試していないが一元二次方程式ぐらいなら解けるはずだ。どれも暗算の話である。もっとも、最近はさすがにちょっと衰えてきたようだ。フルパワーを出せていたうちに、珠算を習って暗算の検定を受けておけばよかったかな。
逆にいえばこれは、算数がやたら得意な子供だからって、将来数学者になるなんて期待はしない方がいい、という教訓でもある。というわけで、微積分に強くなるより暗算に強くなった方が実生活では役に立つ、というお話でした。二次方程式が実生活かよ。

「元素111の新知識」桜井弘・編(講談社ブルーバックス)

役に立つし、面白い。
欲しかった知識がぜんぶ、整理されてまとめられている。そういう本を面白いと称するのである。たぶん高校レベルの知識がずいぶん含まれているはずなのだが、化学に関しては数学や物理のように苦手意識を持つ以前の問題だったからな。あまりに苦手すぎて意識の外に置いてあったのである。なんでおれ高校卒業できたんだろう。加えて英語も赤点だったのに。
とにかくこの本、役に立つ。元素及び基本的な化合物の性質について、ひととおり理解できるし検索もできる。たとえばヒ素が人体に与える作用などを最近なぜか急に知りたくなったのだが、そういうときにも役に立つ。もっとも、アジ化ナトリウムのことはなにも書いてなかった。
この本と、あと理科年表の1冊でもあれば、SFの2、3冊はたちどころに書けそうだ。化学SFってあんまり聞いたことないな、そういえば。

「大英帝国」長島伸一(講談社現代新書)

これもわりと古い本。ってよく見たら古本で買ってるわ。
役に立つ……のかな。あれが載っていないこれが載っていないという話を始めるときりがないのだが、これはあるていど新書の宿命だろう。一般論をここで展開しはじめるのもどうかと思うが、やってしまおう。この手の新書というのは、知らないジャンル、ほとんど知識のないジャンルについて、アウトラインを掴んだり常識を身につけたりするためには非常に役に立つ。だが、他の本などですでに知識を持っている事項に関しては、まるっきり物足りないということが多い。そういうコンセプトの書物だから、しょうがないというよりは当然というべきなのだが。
とまで書いておいて、じゃあわたしが大英帝国について詳しいのかといえばぜんぜんそんなことはない。この本で得た基礎知識も多かった。たとえばヴィクトリア朝時代に関して、外形から入った人間はわたしに限らないと思うが、そういう人はこうした本を読むことで、それまで得ていた断片的な知識が一気に統合される快感を味わえるのではないだろうか。たとえば労働者とブルジョアジーと貴族の平均年収や家計を知るだけで、当時の小説を読むときの理解度は格段に増す。そんなことも知らずに小説を読んでいた方がおかしいのかもしれないが。

「ハプスブルグ家」江村洋(講談社現代新書)

歴史を楽しむ方法。
授業で習う世界史がどうしてあんなにつまらないのかといえば、公平で中立な視点を保とうとするからだ。さらにその視点が、同じ十二世紀なら十二世紀というだけで、ヨーロッパから西アジアから極東からあっちこっちへ行ってしまうのが最大の問題である。混乱してわけがわからなくなって全体の流れがつかめなくなるのも、あたりまえではないか。
そういうわけで歴史を楽しむ唯一の正しい方法は、特定の視点からある地域、ある時代の歴史だけを学ぶことである。こうすれば、少なくともその地域と時代のことだけは充分に理解できるし、そこでの流れだけはつかめる。あとは、地域と時代をずらしながらあちこちでそれを繰り返すうちに、やがては全体の流れがなんとなく見えてくるものだ。
たとえば、世界史に比べたら日本史の方が好きだしよくわかる、という人が、圧倒的に多いのではないだろうか。舞台が身近だということもあるだろうが、基本的には、狭い地域のことだけを集中して学んでいるから理解しやすく、好きになれるのだ。
あるいは、旧約聖書の特に前半は、読み物としてけっこう面白い。なぜかといえば、あれはユダヤ人の視点から書いたオリエント史だからである。その上で、エジプトやメソポタミアが当時どういう状況だったのかを知れば、オリエント史の流れがだいたい見えてくる。すると旧約聖書も、ますます面白くなってくる。学校ではそういうオリエント史は習わなかったでしょ? だから複雑怪奇に思えてしまうわけです。
で、やっと標題の本の話に入る。ビロード革命以降、ユーゴ内戦などで中欧・東欧の歴史的事情が浮かび上がってきたが、その背景をそのまま理解しようとしても困難である。世界史の教科書を引っぱり出してきても、上記の理由でさっぱりわからない。たとえば具体的に、なんでオーストリアの皇太子がわざわざユーゴスラビアのサラエヴォで狙撃されなければならなかったのか、あなた覚えていますか。わたしはそもそも知りませんでした。当時のユーゴがオーストリア帝国領だったなんてことは。知らん方がどうかしているような気もするが、教科書にそんな説明はなかったと思うぞー。
どうもわれわれ現代の日本人は欧州史を、多少なりとも身近に思えるフランスやイングランドといった西欧史を中心に考えたがるが、ヨーロッパの東半分はぜんぶ東欧なのである。ばかばかしい書き方をしてしまったが、忘れがちな事実ではないだろうか。で、東欧史というのは具体的に、少なくとも近世から近代にかけては、オーストリア帝国史であり、ハプスブルグ王朝史なのだ。ハプスブルグに視点を据えて歴史をたどれば面白いし、それだけでヨーロッパ史の半分を理解できる。いろいろ目から鱗が落ちますから、ぜひ読んでみてください。

「ヴィクトリア朝の性と結婚」渡会好一(中公新書)

役に立ったか立たなかったかといえば、どっちかといえば後者。勉強になることはいろいろ多いのだが、わたしが知りたいことはあまり載っていなかった。なんの話かというと、「我が秘密の生涯」の副読本にしたかったのだ。この新書の中でも「我が秘密の生涯」に触れて参考にしているが、決して相互に補完するものではない。上記「大英帝国」の方が、ある意味役に立ったかもしれない。
もっとも、そういうことを抜きにすれば面白い本である。鍛冶屋結婚というのは知らなかった。ヴィクトリア時代研究の中級者向け。

「香辛料の民族学」吉田よし子(中公新書)

ああまた古本だ。以後断りませんから、いちいち。
しかしこれは得難い本であった。アジアを中心に各国で使われているハーブやスパイスの、由来や分類や使い方について詳細に説明してある。自然、香辛料が使われる料理についての解説も多いので、結果として一大アジア料理解説書になっているのだ。もちろん偏っているし、それがテーマというわけではないから、この本だけでアジア料理の全体像を掴むことはできないだろうが、ある種の雰囲気だけは確実に伝わってくる。ただ、植物分類学の基礎知識だけでも持っていて化学式に抵抗を感じない人間でないと、単に料理好きでは読むのがつらいかもしれない。本当なら、できれば調味料についても同じぐらい詳しく解説した本があればよかったのだが。探せばあるのかな。

「中華料理の文化史」張競(ちくま新書)

つまりわたしは、料理のことと歴史のことを調べるのが好きで、たまたまなのだがいずれもアジアが主体である。アジアの中心は中華だ(というか、言葉の定義としてアジアの中心のことを中華と呼ぶのだが)。そういう人間にとって、これほど面白い本はない。
ただこの本、日本語がときどきおかしい。いや、文章そのものはじつに見事なのだが、たとえば「餅」(ピン・現代では焼いたものだけを指すと思うが、ここでは小麦粉を練った食品の古い総称)をすべて「ラーメン」と訳しているのはどうかと思う。たぶん、現代中国語の「麺」(ミェン・これも小麦粉を練った食品の総称、おもにゆでたもの)というつもりで使っているのだろうが、日本人はラーメンとワンタンと水ギョーザを厳密に区別するのだ。ここは中国語そのままに「麺」で通してしまってもよかったのではないか。こんな本を読む人間は、(現代)中国語では長くなくても「麺」と呼ぶことぐらいは知っている、というのを前提にしてもいいはずだ。ああそうか、これももしかしたら、裏返しの中華思想なのかもしれないが……。あとひとつ興味深かったのだが、この本で述べられている千年前のショウガ入り野菜スープとそっくりな料理が、上記「香辛料の民族学」ではタイ少数民族の料理として紹介されている。探せば似たような例はもっとありそうだ。アジア料理史について詳細な研究というものはないのだろうか。それこそ、誰も知らないような野菜スープの系譜まで調べ上げてあるような。

1998/08/28

「インターネットII ―次世代への道―」村井純(岩波新書)

前著「インターネット」を読んだときには、概念は理解していたものの具体的にインターネットに触れてはいなかったので、実装を含めた仕組みを説明されてもいまひとつピンと来ないところがあった。こんどは判るかというと、やっぱりまだピンと来ていない。具体論が少なく、ずいぶん先の希望論を述べているので、実感としてつかめないのだ。もちろん本文中であげられている例と同じように、3年後にでも読み返してみれば「なるほど」と思うものなのかもしれないが。
まあ、なにしろ村井先生の本だからな。日本のインターネットを作り上げてきた方だからな。書いてあることはみんな正しいのだ。たとえばWebサイトのことを繰り返し「ホームページ」と記述されているが、むろんこれで正しいのだよ。けっけっけ。

「異常性愛の精神医学」小田晋(ふたばらいふ新書)

困ったものだ。とりあえず、この本を読んだために重大な教訓を得ることはできた。たとえば、タイトルと概要だけで本を選んではいけないとか、つまんない意見をマスメディアに流している者がいたらちゃんとそいつの名前は覚えておこうとか。
もっとも、タイトルに引っかけが含まれていることに気づかなかった方も悪い。これは、性愛を「正常」と「異常」に明確に分類できるというのが前提のタイトルだ。DSM-IVを引用して「現在は異常性愛という呼び名はない」という主旨の記述がありながらこれである。酒鬼薔薇事件がらみで旧著を引っぱり出してきてあわててその章だけ継ぎ足した、というのが正解らしいが、よくこんないい加減な本の作り方をできるものだ。
そして内容はといえば、連続幼女殺害事件や酒鬼薔薇事件について、要するに精神異常のなせる業であり隔離して強制治療するべきだ、という意見を蕩々と述べている。あとは精神医学の専門家にしか理解できない、理解する必要のないような術語を並べ立てた治療方針の説明があるだけ。本全体としては一般向けの体裁なのだが、いったい誰に読ませるつもりなのだろうか。おまけに、客観的な意見を引用すべきところで産経新聞に掲載された識者のコメントを使っているのだが、よく見ると発言者が著者本人だ。あの、なにかその手の事件が起きるたびに新聞にコメントを寄せる心理学者とかって何者なんだ、というようなことを岸田秀も言っていたと思うが、やはりこのぐらいいい加減な人間でないと務まらないのだろうなあ。

追記。この小田は、最近どれだったかの写真週刊誌で(本気でわたしには区別がつかないのだが、とにかく誌名のイニシャルがFだったと思う)またぞろ懲りもせずに同じようなことを言い募り、しかも連載にしているらしい。いいかげんにしろ。とにかくみなさん、こいつの言うことを真に受けちゃだめですよ 1999/02/07

「オスとメス=性の不思議」長谷川真理子(講談社現代新書)

とても優れた本なのだが、個人的には外れだったかもしれない。わたしとしては、進化の過程で生物が手に入れた性のシステムや解剖学的相違についての詳細な解説を期待していたのだが、そのへんはさらっと触れるだけで、動物行動学からの性差に関する記述が大半を占める。そっちに行くなら、ヒトのことももうちょっと突っ込んでほしかったように思う。

「中国革命を駆け抜けたアウトローたち」福本勝清(中公新書)

馴染まない漢字が多くて読みづらい本なのだが、とにかく面白い。良質のエンターテインメント小説に匹敵するような、歴史と群像劇を組み合わせたおもしろさだ。都市型のアウトローに関しても触れられていると、もっとよかったのだが。

シリーズ「生命の歴史」松井孝典・監修(講談社現代新書)

「カンブリア紀の怪物たち 進化はなぜ大爆発したか」サイモン・コンウェイ・モリス
「失われた化石記録 光合成の謎を解く」J・ウィリアム・ショップ

まず一言。1巻の原題は"Journey to the Cambrian: the Burgess Shale and the explosion of animal life"(カンブリア紀への旅:バージェス頁岩と動物生命の爆発)なのだが、なにを勘違いすればこんなひどい邦題をつけられるのだろうか。監修者による各巻の前書きも、くどくどしくてセンスないしなあ。刊行のペースが遅れたのもまいったよなあ。2巻が出たの、予告の1年後だぞ。ずっと待っていたのに。この調子だと、いつになったら4巻を読めるんだろう。
だがそういう面を除けば、おもしろい。胸がどきどきするほど面白い本が並んだ。最先端の研究者が、日本語版を前提に書き下ろしたものらしい。なんとも贅沢な話で、またそれだけの価値はあった企画だろう。なぜブルーバックスではなく現代新書なのか、という問題もあるが。進化論にちょっとでも興味と知識があれば、ここに書いてあるのがどんなすごいことか理解できると思う。
「カンブリア紀の怪物たち」は、ベストセラーになった「ワンダフル・ライフ」やそれを元にしたと思われる「NHK特集 生命・地球46億年の旅」と同じテーマを扱っているが、その後に判明した最新の事実への言及もある。なにより、「ワンダフル・ライフ」への批判が面白い。
「失われた化石記録」は光合成の誕生を化学的な面まで含めて詳細に解説してあり、それがまたわかりやすい。いっぽうで微生物化石発見の経緯などを扱ったドキュメンタリーでもあり、一冊で二度美味しいといえるだろう。最先端の生物学や古生物学ってこんなに面白かったのか。いやほんとに、誇張ではなく。

「宇宙のからくり」山田克哉(講談社ブルーバックス)

最先端をわかりやすく、といえば、たいていはトピックを扱ったいいかげんなものになりがちなのだが、この本はちゃんと最先端の思想を取り入れ、しかも斬新な視点でわかりやすく解説してある。なにが違うかといえば、最先端の内容そのものより思想、考え方を著者がちゃんと理解しており、しかも素人に向けて説明するためにはなにが必要で必要ではないかを区別してくれているという点ではないか。たとえば、相対性理論やローレンツ短縮は記事としては面白いのだが、宇宙全体の「からくり」を認識するためには実はあまり必要ではなく、結論さえ知っていればいいものである。ブラックホールやクォークも同じ。そうやってコンパクトに内容をまとめながら、量子論からビッグバン、宇宙の果てを見る方法まで、たいして厚くもない本一冊でひととおり触れているというのは、もしかしたらすごいことなのではないか。

「大江戸えねるぎー事情」石川英輔(講談社文庫)

とりあえず最初の一冊を挙げるが、このあと「大江戸テクノロジー事情」「リサイクル事情」「生活事情」など関連したエッセイ集と、それ以前からの「大江戸神仙伝」に始まる小説のシリーズがある。ご存じだと思うがもともとはSF小説家で、「SF西遊記」とかソノラマ文庫のジュブナイルなど、わりと威勢のいいものを書いていた人だ。「神仙伝」もタイムスリップもののSFなのだが、そのための資料を調べていくうちに江戸時代にハマったらしい。まあそんな事情はいいのだが。
問題はエッセイ集だ。標題の1冊を読んだときは、江戸時代と現代で同じことをするのにどのぐらいエネルギーを消費するか石油換算で示してあって、なかなか感動的だったのだが、そのあとがなんとも。要するにずっと同工異曲が続いているのだ。そろそろ飽きてきたぞ。題材に飽きるのはともかく、文章の基調がずっと「近代合理主義への江戸からの批判」で通されていて、それがどんどんヒステリックになっていくようでつらい。彼が批判している近代合理主義あるいは戦後民主主義にしても、必要以上に悪い面ばかり取り上げているような気がする。つまり、ためにする批判というやつだ。批判の論拠が「近代以降の教育は江戸時代を必要以上に悪者にしてきた、ためにする批判ばかりだった」というのだが、これでは同じ穴の狢ではないか。
封建制度と戦後民主主義を比較して「どちらがましかわかったものではない」という結論に達するのがお得意のようだが、実はそこで指摘される問題のかなりの部分は「地方分権と中央集権のどちらを選ぶか」という問題に還元される。封建制度は君主制地方分権であり、戦後民主主義は民主制中央集権である。そして現代における問題が、明治以降の君主制中央集権の残滓であることが多いという事実を無視しているのではないか。明治政府の封建制批判は地方分権批判で、現代の封建制批判は君主制批判である。この点は区別しておかないといけない。明治政府が、君主制を否定するわけにはいかなかったために地方分権である封建制度をことさらにあげつらった、その教育に石川も実はどっぷりと浸かっているのだ。
とはいうものの、基本的にはやっぱり面白い本です。一度は読んでみることをお勧めします。

1998/10/22

「伊勢エビの丸かじり」東海林さだお(文春文庫)

文庫で読んでいるのでこれがわたしにとっては最新刊。以前、彼の文章はうまくないというようなことを述べたが、この「丸かじり」シリーズの初期に比べるとかなりうまくなっている。つまり、ときどき小学生の作文のような表現が出てきたり本質的ではない部分で擬態語に頼ったりという欠点は影をひそめた。とすると、残るのは鋭い観察者の視点と描写へのこだわりであって、読みはじめれば一時の快楽に身を任せて突っ走ることが可能である。
興味深いのは、タイスキを扱った章。この前後がタイ旅行記になっているのだが、この章の冒頭で

「(タイスキについては触れずに)タイシリーズは終わりにする予定だった。ところが、『週刊朝日』の別のコラムで、タイスキのことを取りあげていて、それを読んで急に気が変わった」

とあり、まずい「タイ風」ではなく本物のタイスキがいかにうまいかを得々として書いている。
発表順に収録されていると仮定すると、この章は週刊朝日1992/10/9号に発表されたもののはずである。さてここで、別の本を取り出してみよう。

「恨ミシュラン・上」西原理恵子・神足裕司(朝日文庫)

これも発表順に収録されていると仮定すると、連載第2回にあたる『だれが食うんだこんなタイスキ』の章は、週刊朝日1992/9/25号に発表されたと思われる。上記の2号前だ。考えてみるとこの時期、週刊朝日には食べ物関係のコラムが、しかもコラムとマンガのコラボレーションという形の連載が2本並行していたのだ。グルメブームの時代であったとはいえ、馬鹿なことをしていたものである。たまたま両方とも名コラムとして評価されているのはめでたいかぎりだが。ここで東海林の立場から考えてみると、自分がすでにこのような形の連載で評価されているのに、なぜわざわざ似たような連載を、しかも聞いたことのないような若手に始めさせるのか、という気持ちが当然あっただろう。そのことに気付いていたので、連載が重なる時期の作品が文庫に来るのを楽しみにしていたのだが、いきなり想像以上の反応があったわけだ。面白いなあ。

1998/05/22
Webページへの登録:1998/10/20

「イノセント・ワールド」桜井亜美(幻冬舎文庫)

気づかなかったけど、ちょっと前に出た本なのね。気づかなかったというより、気にしてなかったというのが本当なのね。ただなぜか突然、書店の店頭で目に飛び込んできたのね。映画化されたために平積みになっていたらしいけど、それ以上に気にかかる表紙だったわけね。内容紹介を読んでからそれが気になって気になって、ついにレジに持っていってしまったわけなんだね。
今年の初めごろ、「聖者の行進」というテレビドラマを放映していた。野島伸司脚本ということで期待したんだけど、とりあえず最大の収穫は中島みゆきの主題歌「命の別名」「糸」だった。あと雛形のちちと広末のほーにょー。ドラマの内容とはあまり関係のないところだね。まともな収穫といえば、安藤政信クンがよかった、ってぐらいかな。なんでああなるかなあ。PHSのバッテリーってどのぐらい保つんだったっけ、とか、火事の煙を見つけたのが昼間で駆けつけたのが夜中になってからだったのはなぜ、みたいな間抜けさが目についてしょうがなかった。知的障碍者をタイトル通り「聖者」として描こうとしたんだろうけど、そういうもんじゃないだろう。それは第三者の視点であって、それなら知的障碍者を主人公役にする必要なんかなかったはずだよね。「人間」として描くつもりなんか、ちっともなかったんだろうな。
で、やっと本の話に戻りますが。知的障碍の兄と近親相姦の関係にある健常者の妹が主人公。おやおや。なにかと似たモチーフですね。これが精神的近親相姦だったらほとんどいっしょだ。読んでみるとますます似ています。ちなみにこの本の単行本版は、「今年の初めごろ」の2年前に出ていますなあ。いやだからそれはべつにいいんだけど。ありがちといえばありがちなネタだし。ただ、少なくともこの本は、「聖者」なんてよけいな単語を出してこないだけでも好感が持てます。小説としての出来がどうかといわれると、うーんと考え込んでしまいますが。処女作にありがちな詰め込みすぎの欠点は確実にありますね。
ところで、これの映画版で兄役を演じるのが安藤政信クン。うーむ。どう解釈すればいいのやら。

1998/11/22

「舌鼓ところどころ」吉田健一(中公文庫)

たまにはこういう古典も読む。1950年代に書かれたものを古典と称するのもどうかと思うが、本来なら旧仮名の方が似合うような、まっとうな書き言葉の文章をたまに読むと、心が洗われる気分になる。
じつはこの本、初読ではない。ハードカバーのものが家にあって、10歳ぐらいのころ繰り返し読んだ記憶がある。そんなに貧しい子供時代を送っていたわけでもないのだが、ここに書かれている数々の御馳走の描写はなぜか心に残っている。「コットレット・ダニヨー・オーゾマール・トリュフェ・オーズイトル・フリト・マロン・シャンティ」という料理の名前をしっかり暗記していたのには、自分でも驚いた。今もこれ、原典に当たらず記憶だけで書き写したのだ。……これの表記を含めて、わたしが読んだ版とこの文庫ではかなり表記が違っているような気がするなあ。
20年を経てから再読してみていささか驚いたのだが、吉田健一のスタンスはひたすら「食べること」にあり、「作ること」には全く興味がないらしい。本書でも何度か引き合いに出されている「食は広州にあり」(邱永漢・中公文庫)が作ることに大きく傾いているのとはかなり違う。著者の世代や育った文化にもよるのだろうが、わたしのように「食べたいものは作ってしまえ」という発想の食いしんぼうにはちょっとした驚きである。かといって、「コットレット・ダニヨー・(後略)」を自分で作れるわけもないのだが。

1998/11/22

「ドバラダ門」山下洋輔(新潮社または新潮文庫)

手に入らんのです。基本的になんでも文庫で揃える主義なので、ハードカバーが出たときは「文庫待ちにしよう」と思い、文庫が出たときにはどういうわけか書店にあまり通えなかった時期で、そうこうしているうちに店頭から姿を消してしまいました。最近になって「ドバラダ乱入帖」が集英社文庫になってこれは即座に買ったんですが、元の「ドバラダ門」を読んでいないとちっとも面白くないよう。いや面白いには面白いんだけど、たぶん本来の三分の一ぐらいしか面白くないよう。
池袋の文庫BOXという書店にもなかったんで、これはもう古本で探すしかないのかなあ。しかしたった5年かそこら前の本だぞ。なに考えてるんだ新潮文庫。古今の名著をいつでも手に入るようにしておくのが文庫の使命だろうが。書籍流通の現状を考慮に入れたとしても、在庫ぐらい残しておいてくれよ。頼むからさ。出版界の良心として信用してるんだぜ。
というわけでみなさまにお願いなのですが、もし「ドバラダ門」をお持ちで適価で譲ってくださってもよいという方がいらしたら、メールでけっこうなのでご連絡ください。単行本・文庫問いません。筒井さんの解説も文庫に入ったことなので。

1998/11/22